猿から人になるために。人として生きてゆくために必要なものはこれだ

いま時代は進化を忘れている。いや恐れていると言ってもいい。



人間は長い年月のなかで沢山の知識を蓄えて研究し、発展を重ねてきた現在、暮らしはとても豊かになりました。



しかし忘れちゃいけません。私達は進化していません。生態としての進化は数千年前に止まったままなのが事実です。昔より良い生活が出来るのは、現代人が優れてきているのではなく、先人が残してくれた結果の積み重ねに居座ってるにすぎません。むしろいまの私・あなた達は人の進化を止めています。



日本の発展の歴史は目まぐるしく私達の生活を豊かにしてくれました。最低水準の生活は機械などで補えるようになってからは、生活レベルはどれだけ娯楽の水準が高いかどうかで決まっています。事実年収で言えば独り200万も貰えれば最低の生活、数百年前なら夢のような平安の暮らしができるはずです。


この変化はこれまでの「生き抜く生きる」から「よりよく生きる」という今まで四十六億年の生物史では考えられない変化にぶちあたった事が大きな原因です。良くも悪くもサバイバルに生きられない問題がとても大きな障害になっています。本来の生きる事と生きる目的がズレ始めて私達の中に歪みが生まれてきています。



それが現代人の目的意識喪失や神経症、霞に包まれたような不安感に表れていると思うのです。心の不安や不満を埋めるためにさらに娯楽にかまける。一連の行為そのものが、私達が進化することを諦めている証拠です。



かっての猟をして命を取り合い、生き抜く原始の暮らしをして私達はもう生きていけません。もちろん私もそれを求めろとは言いません。だからこそ「よりよく生きる」がモットーのいまの社会の中で、私達は本来の生き抜く=進化するに視点を戻し、進化に繋がる生き方をしてゆかなくてはならないのではないのでしょうか。



じゃあそれってなんなのさって?



それは考える力とインプット・アウトプットです。



毎日考えてるよボケぇ。よろしい。毎日勉強しとるわカス。よろしい。でも毎日アウトプットとして何か形にしているかと言われると・・・してないのではないのでしょうか。自分の考えを形にしてない。



今ブログやmixiとわかりやすい形で自分を表現できる場は多いのは魅力ですが、その多くが日記だったり、人の考えをそのまま自分の事のように垂れ流したり、それそのものがコミュニティの輪にとどまる空間では意味がありません。



私自身、一番この気持ちを恐れています。クリエイトする事へ何故か自信が持てないのです。発表することが酷く恥ずかしいのです。でもなんとかしたい、一歩先に進みたい、人として歩みを進めたい。その気持ちで始めました。



そして私なら何が出来るか。そう考えたとき、散々読み続けてきた、ただ読んだだけに留まっていた漫画や小説の事をアウトプットすること。そして皆伝までのし上がったビートマニアについてのまとまった上達法、考察を書くことなんかを思いつきました。



このインプットして考えてアウトプットする。これは狩猟をして暮らしていた行動に当たります。言い換えれば現代のサバイバルを自ら始めているといえます。そこでただ考えるだけ、なんとなく思っているだけじゃもったいないです。怖がらず一緒にアウトプットしてゆきませんか?



何か一つでも達成できれば、別のことにも少しづつ生かしてゆけるのでは無いでしょうか?それが今の私達が個別に進化する一歩になると私は信じて疑いません。